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東京地方裁判所 昭和30年(ワ)7921号 判決 1958年5月29日

原告 倉敷紡績株式会社

被告 国

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

一  原告訴訟代理人は、被告は原告に対し、二二五、五一〇円及びこれに対する昭和三〇年一〇月二二日から支払の済むまで年五分の割合による金員を支払え、訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求め、その請求の原因として、次のとおり陳述した。

二  原告は、紡績業等を営むことを目的とする株式会社であるが、原告会社では、三〇、〇〇〇余名に上る株主に対する利益配当金の支払を安全、敏速に行うため、定時株主総会を招集する際、その招集通知状と共に、予め別紙第一の様式による配当金領収証用紙を各株主に送付しておき、ついで、総会において利益金処分案が議決されて、各株主に対する配当金額が確定すると、別紙第二のような様式によつて、配当金支払計算書を作成し、各株主にこれを送付し、各株主は、前記配当金領収証用紙に、右計算書を貼附して、取扱銀行に提出して配当金の支払を受けるというしくみ採用している。

三  ところで、被告は、昭和二九年七月一三日付間消一-九四(例規)国税局長宛国税庁長官通達をもつて、右計算書は、印紙税法第四条第三一号に該当する証書であるとの理由で、右計算書に対し印紙税を課する旨を決定した。

四  そこで原告は、やむなく、昭和二九年一二月一五日、原告会社昭和二九年上期配当金支払計算書(株主丹下幸一ほか一一、五四一名分)一一、五四二枚に対し、また、昭和三〇年六月一四日、同年下期配当金支払計算書(株主丹下幸一ほか一一、〇〇八名分)一一、〇〇九枚に対し、それぞれ、一一五、四二〇円及び一一九、〇九〇円(一枚につき一〇円)合計二二五、五一〇円の印紙税を大阪東税務署に納付した。

五  しかしながら、右計算書は、印紙税法第四条第三一号に該当する証書ではない(この点に関する原告の法律的見解は、別紙第三のとおり)(昭和三十一年二月十日附準備書面のとおり)から、右印紙税の納付は、原告が納税義務なくして納付させられたものであり、被告は不当利得としてこれを原告に返還すべき義務があるから、右金額及びこれに対する訴状送達の翌日から支払の済むまでの民事法定利率年五分の割合による利息の支払を求めるため本訴に及んだ。

六  被告指定代理人は、主文同旨の判決を求め、原告の請求原因事実五は争うが、その余の請求原因事実は、すべて認める、本件配当金支払計算書は、印紙税法第四条第三一号に該当する証書である(この点に関する被告の法律的見解は、別紙第四及び第五のとおり)(昭和三十年十二月十四日附準備書面、昭和三十一年四月二十四日附準備書面のとおり)から、原告が納付した印紙税は、被告において不当利得したことにはならないと述べた。

七  原告訴訟代理人は、立証として甲第一号証の一ないし三及び第二ないし第四号証を提出し、証人三戸岡道夫、同松村豊及び同河原勇の各証言を援用し、乙第一ないし第四号証は、原本の存在並びにその成立、その余の乙号各証の成立を認めた。

被告指定代理人は、立証として乙第一ないし第七号証を提出し、証人根本正三の証言を援用し、甲号各証の成立を認めた。

理由

原告主張の請求原因事実二ないし四は、被告の認めて争わないところである。そこで本件配当金支払計算書が、印紙税法第四条第三一号に該当する証書であるかどうかについて審究する。

国及び地方公共団体は、その活動の経済的な源泉である租税の源すなわち税源を、窮極的には、主として人の所得に求めるものである。すなわち、直接に人の所得を客体として課税する場合があり(収得税)、人と人との取引を客体として課税することによつて、人が現在得つつある、又は過去において得た所得に税源を求めようとする場合があり(流通税)、人の消費を客体として課税することによつて、さような消費を可能とする人の過去の所得に税源を求めようとする場合がある(消費税)。印紙税は、財産権の創設、移転、変更若しくは消滅を証明すべき証書、帳簿及び財産権に関する追認若しくは承認を証明すべき証書を作成する事実を客体とする租税であり(印税法第一条)、取引税等取引自体を課税客体とする、いわゆる財産流通税に対し、取引に関連して生ずる附属行為補助行為を課税客体とする点で、いわゆる流通税たる補完税と認められる。そうして、印紙税法は、その第四条第一号ないし第三〇号において印紙税の課税客体となる各種証書及びこれに対する税額を定めるとともにその第三一号において、「前号以外の証書」を課税客体とし、その税額を一通につき一〇円と定めたのである。

被告は、本件配当金支払計算書は、印紙税法第一条、第四条第三一号所定の「財産権の得そう変更等を証明すべき証書」であると主張する。では、印紙税法第一条にいう「財産権の創設、移転、変更若しくは消滅を証明すべき証書及び財産権に関する追認若しくは承認を証明すべき証書」とは、何であろうか、当裁判所は、右の「証明すべき」とは当該取引社会においては、当該文書面の形式的記載文書に関係法律の規定及び慣習を綜合して考察すれば、一定の財産上の権利関係の発生、変更、消滅又は存続並びにその権利関係の権利者及び義務者を確知することができるを意味し、「証書」とは、対立する人格の間で、権利関係の発生、変更、消滅又は存続並びにその権利関係の権利者及び義務者を明確にする目的で作成された文書をいうものと解する。

成立に争のない甲第一号証の三によれば、配当金支払計算書が配当金領収証用紙に貼附された状態を知り得るのであるが、この場合、配当払金支計算書と配当金領収証用紙は、ただ単に貼附されて物理的に一体をなしているだけでなく、両者に共通の番号が印刷されていることによつて、両者の間に契印が施されている場合と同様、意味的に一通の文書となつているわけである。そうして、同号証に記載されている「株数及び金額が訂正されている配当金支払計算書が貼附されているときは無効です」との文言並びに同号証及び成立に争いのない甲第一号証の一に記載されている、一定の支払期間に三井銀行ほか二八銀行の全国各本支店及び原告会社株式課、各事務所各工場のいずれの場所においても、配当金支払計算書を貼附した配当金領収証を提出すれば配当金を受け取ることができる旨の文言に徴すれば、右配当金領収証の提出のほか、取扱銀行において株主の同一性及び支払うべき配当金額の確認につき他に何らかの方法が用意されていることについて何らの立証もない本件においては、配当金支払計算書貼附の配当金領収証は、株主が取扱銀行に対して、右領収証の持参者が同書右肩欄記載の原告会社株主であること及び右株主は、原告会社に対し配当金支払計算書に記載された額の配当金請求権を有することを確知させる効用をもち、かつ、原告会社は、株主のために、配当金支払計算書貼附の配当金領収証用紙を、本来の受取書用紙としての効用のほか、前記のような効用をもつ文書として作成するものと認めることができる。すなわち、配当金支払計算書の貼附のある配当金領収証用紙は、その提出者が一定金額の配当金請求権を原告会社に対して有する株主であることを取扱銀行に対して証明すべく原告会社が作成した証書であるから、印紙税法第一条、第四条第三一号所定の財産権の創設を証明すべき証書として、原告会社は、配当金支払計算書貼附の配当金領収証用紙一通につき一〇円の印紙税を納付する義務を負うわけである。配当金支払計算書貼附のある配当金領収証が、同書記載の株主と同書の提出者の同一性を取扱銀行に確知させるという事実証明の効用をもつことは、前掲説示のとおりであるけれども、配当金支払計算書がさような事実証明の効用しかもたないとする見解は、当裁判所の左祖し難いところである。

また、株主が、取扱銀行ではなく、原告会社に対して配当金支払計算書の貼附のある配当金領収証を提出した場合には、原告会社としては、右領収証によらずに株主の確認及び配当金支払額の認定をなし得る筈であるから、配当金支払計算書の貼附のある配当金領収証用紙の前記効用は、この場合には無用に帰するものと推測されるけれども、しかし、そうだからといつて、配当金支払計算書の貼附のある配当金領収証用紙が、本来、前記のような効用をもつ証書であることを否定することはできない。

もつとも、印紙税法第一条、第四条第三一号所定の財産権の創設を証すべき証書たる性質をもつ文書は、配当金支払計算の貼附された配当金領収証用紙であり、配当金支払計算書自体は、右証書たる性質をもつものではない。なるほど、前掲甲第一号証の三によれば、配当金支払計算書には、株数及び税引配当金額が明示されており、また作成者が原告会社であることはKURABOという地紋によつて認めることができるけれども、配当金支払請求権をもつ株主が何びとであるかは、右計算書の記載自体からは知る由もなく、また、右計算書の所持者が配当金支払請求権者であるとする等の慣習を認めることができる証左はない。すなわち、配当金支払計算書は、配当金支払請求権者が誰であるかを証明する効用をもたないのである。それのみでなく、前掲甲第一号証の一によれば、原告会社においては、右計算書を、将来配当金領収証用紙に貼附され、これと一体をなして始めて株主何某が原告会社に対して或る額の税引配当金請求権を有することを取扱銀行に確知させる効用をもたせる目的で作成するもの、いわば、配当金支払計算書は、始めから、配当金支払計算書貼附の領収証という一通の証書の一部として作成されるに過ぎないものと認めることができるのである。

したがつて被告の主張するように配当金支払計算書自体を独立した「財産権の得そう変更等を証明すべき証書」として印紙税の課税客体と考えることは誤りであり、配当金支払計算書は、配当金領収証用紙に貼附されて配当金支払計算書貼附の配当金領収証用紙となつたときに、右配当支払計算書貼附の配当金領収証用紙が印紙税法第四条第三一号所定の証書となり、その納税義務者は、株主を手足として配当金支払計算書貼附の配当金領収証用紙を完成した原告であると解するのが相当である。

しかるに被告は、本件各配当金支払計算書が、まだ配当金領収証用紙に貼附されないうちに、配当支払計算書自体を課税客体として原告から印紙税を徴収したのであるから、本件印紙税徴収の当時においては、原告の印紙税納付は、法律上の原因を欠いていたと認めざるを得ない。しかしながら、本件各配当金支払計算書が、本件口頭弁論終結のときまでに、各株主によつて所定の配当金領収証用紙に貼附され、配当金支払計算書の貼附のある配当金領収証用紙として完成されたことは、本件口頭弁論の全趣旨に徴して明らかであるから、原告の納付した印紙税は、結局、これを納付すべき法律上の原因あるに至つたものというべきである。

以上の次第で、原告の納付した印紙税が納付すべき法律上の原因を欠くとの原告の主張は、結局、理由がないこととなるので、原告の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 田中宗雄 間中彦次 乾達彦)

別紙第一、二<省略>

別紙第三

第一準備書面(原告)

原告 倉敷紡績株式会社

被告 国

右当事者間の昭和三十年(ワ)第七九二一号不当利得金返還請求事件について、原告は左のとおり陳述を準備する。

一、(イ) 印紙税法の目的如何について、被告が昭和三十年十二月十四日付準備書面一、の冒頭で主張せられるように、「もとより文書又は帳簿そのものを課税せんとする趣旨ではなく、文書又は帳簿の内容たる財産の移転それ自体に課税せんとするのがこの税の本旨である。」というふうに割切つてしまえるかどうかは甚だ疑問である。もしそうなら、それに関する証書の作成されない取引についても課税するという方針をもつてこれに妥当な税法を制定すべきではないだろうか。財産の移転の事実を直接に補促することが困難であるということは、所得税関係でも、法人税関係でもいくらもあることで、何もこの関係に限つたことではあるまい。又、もし、財産の移転自体に課税するというのならば、その間、その取引額の大小なりによつて、税額についても適当な考慮が加えられるべきで、一億円の取引に関する委任状も千円のそれもすべて一率に印紙五円を貼用すべしというのも甚だうなずけない話である。印紙税法の本旨は、恐らく、特に慎重に証書や帳簿等を作成するような取引ならば、当事者にとつても社会生活上相当意味のある活動であるから、これにある程度の課税をしても妥当であろうという考え方によつているのであつて、これを被告のいうように、実質的に取引自体をみているとすることも一応うなずけるが、さればといつて、取引が本体だとみるのは誤りで、印紙税法の本旨ということになれば、それはあくまでも証書、帳簿という文書自体を課税の対象にしているとみるのが妥当であると思う。つまり、法は、取引自体に課税することをあきらめて、これに関する文書に課税することで満足しているとみるべきであろう。

又、右準備書面で被告が主張せられるように、証書は当事者間で作るものだから、書面の形式的記載は重要でないとか、又、印紙税法は自主納税の建前からいつてもそうだという点についても納得がいかない。右にものべたように、課税物件は、文書そのものであつて、取引ではないし、いやしくも憲法上の租税法律主義の下で、一定の物件に課税する以上、その物件の範囲についても客観的に判つきりしていなければならないことは当然だから、一般の法律用語としての「証書」ということばのもつ客観的な意味を度外視することのできないことは論ずるまでもあるまい。一般には取引について文書の作成が、別段強制されていない以上、当事者間での特別なメモや符合を使うことによつて印紙税法を脱るものがあつても仕方がないのではあるまいか。もし、これに課税すべきであるというならば、自ら他に立法によりこれを明定する方法があるであろう。原告としては、印紙税法という、特殊な法律をもつて、とてもその手に負えないようなものにまで税金を課する手段としての役割を果させようとするのは無理で、そういう法の解釈や運用は、やはり憲法の租税法律主義の精神に背くものと考えざるをえない。又、自主納税といつても、現在の所得税や、法人税のような申告納税のものと、その精神的な基盤がそう違うものとは思われず、それは一応、徴税技術の問題にすぎないものであるから、そうだからといつてそれが一般法律用語としての「証書」ということばとちがつた特殊な解釈をいれうる理由になるとはちよつと考えられない。前記準備書面に引用された最高裁判所判決も、どうも被告が援用される趣旨のようには理解され難いと思う。その判決中で、同裁判所は、仮受取書について、書面の名称が何であろうと構わないとはいつているが、又、「裁判上又は裁判外において両者(本受取書と仮受取書)いずれも各独立して前示受領の事実を完全に証明する効力を有するものと解される」ともいい、却つて、原告の主張を前提としているものと考えられるのである。

(ロ) そこで印紙税法にいう証書を、いかに解すべきかについて、すでに訴状でもその骨子をのべたが、更にこれを左に詳述しておき度い。

印紙税法第四条に列挙してある課税対象たる証書とはすべて、民商法その他の私法上の財産権の発生、変更消滅などを証明する文書であること疑いを容れない。

従つて、それは、当該文書の記載自体から、それが何人によりいかなる権利関係を証明するために作成されたものであるかが文理上明らかであるものに限られるべきであつて、その文書の記載のみでは、この点が明らかでないものは、たとえ他の文書や証拠類乃至は関係者間の特殊な事情等他の資料と相合して或る一定の権利関係を証明する証明力が事実上あるものであつても本条にいう証書には該当しないものといわなければならない。換言すれば、本条の証書であるためには、それが、事実上証明力をもつているということだけでは足りないのであつて、その文書が、一定の作成者により一定の私法上の権利関係を証明することそれ自体を目的として作成されたものであることが、その文書の記載自体から文理上明瞭なものでなければならないのである。例えば、茲にある園遊会があつて、一定の紙片に「コーヒー券百円也」とのみ印刷したものを参会者に予め販売し、これを持参したものにコーヒーを供することとなつている場合を考えてみると、これを持参しないものは、コーヒーの提供を受けることはできないという意味で右の紙片は、なお一定の権利関係を証明する事実上の証明力をもつていることは確かであるが、それは、その特殊な園遊会の参会者が、会の「きまり」をのみこんだ上で、右の券をその会で行使する場合に限られるのであり、その記載の文理だけでは何人がこれを作成し、いかなる権利関係を証明するものか判然しないのであるから、印紙税法に定めるいわゆる証書には該当しないのである。

(ハ) 又、ここにいう証明力の性質についても、訴状の主張を補足しておき度い。

先にものべたように、印紙税法第四条にいう証書であるがためには財産権の発生、変更、消滅などを証明する文書でなければならないことは勿論である。従つて、ある文書が何等かの証明力を有する(たとえ、それが証明の目的のために作成せられ、文理上も完全な証明文言を有する文書であつても)場合であつても、それによつて証明せられる事項が、「権利関係」に関する事項でなければ、印紙税法にいう証書とはならない。その事項が単なる事実関係等を証明するにすぎない文書はこれに該当しないのである。例えば、書画の箱書のようなもの、身分証明書、或いは、権利関係の証書の「写」の奥書に記載された認証文言などは、いずれも形式的には明らかに証明文言と作成名義をもつており、一定の証明用に作成された文書ではあるけれども、それによつて証明される実質は、その書畫が某々という芸術家によつて制作せられたという事実の証明書を持つている者は、何会社々員何某、本人に相違ないといふ事実、或いは、ここに作成された証書の「写」は原本をそのまま写し取つたものに相違ないという事実等の生活事実そのものに外ならないのであつて、何等かの権利関係ではないのである。

二、(イ) そこで問題の配当金支払計算書について考えてみよう。その文面には、作成名義人の記載もなければ、一定の権利関係の存否を証明する趣旨の何等の記載も存在しないこと、前記の「コーヒー券」と何ら選ぶところがない。要するにそれは一の計算書にすぎないものであつて、倉敷紡績株式会社の会社と株主という特殊な開係者の間で、所定の用紙に貼用した場合には、配当金が簡便且つ確実性をもつて支払われるという便宣のために作成されたものにすぎない。従つて、それは、このような特殊な環境の下においては、他の資料と相合して事実上一つの証明力をもたないとはいえないであろうが、文書それ自体の記載には何らの証明文言もないのであるから到底印紙税法にいう証書に該当するものとはなしえない。なお、商法上からいえば、仮りに株主が、本計算書を遺失することがあつても、会社はこれのみを理由に配当金の支払を拒みうるものでないこと一点の疑いを容れる余地もないから、それが一定の場合に、いくばくかの事実上の証明力をもつといつてもその証明力たるや極めて受動的且つ消極的なもので、その本体は、極言すれば銀行が安全、確実な事務処理の必要上客に渡す番号札以上のものではないのである。なお、つけ加えておけば、右の計算書を会社が予め株主に送付した領収証用紙に株主が貼付した場合、この領収証用紙の記載が全体として、一つの配当金支払証書たる性質を帯びるに至るのではないかとの議論があるかも知れないがこの書面は、これを全体として見るとき、それが「領収証」であることは一点の疑いをも容れ得ないところであると思う。その文面上のいかなる記載を検討しても前記のような証明文言をうかがうことすらできないのである。その注意欄の一隅に「株数及び金額が訂正されている配当金支払計算書が貼附されているときは無効です」とあるが、その趣旨は、そのような場合には、配当金取扱銀行で簡便に支払をうけ得るという便宣を失うことがあるとの趣旨であり、これにより株主が、配当金請求権を喪失する理由は少しもないのであるから、右の文言も亦支払手続に関する株主の便宜を考慮した単なる注意書の範囲を出でるものではなく、証明文言とは到底解しえないものである。

(ロ) 次にその有する証明力は前述したところによれば、「事実の証明」に関するものと言わなければならないと思う。この計算書に何らかの証明力ありとすれば、それは、この計算書を貼付した配当金領収証を窓口に持参した人が一応株主本人に相違ないという事実(人の同一性)の証明に関するものに外ならない。それは決して、そこに株主として記載せられた何某が、金何円の配当金債権を有するという権利関係の証明ではないのである。けだし、そのような配当金の債権関係は、一般の契約関係上のものなどとは異なつて、会社では何等の証明をも要せずして自明のことであり、又、当事者間の争いをさけるため等の目的から特に証明書を発行する必要などは少しもないからである。従つて、この計算書が、そのような配当金債権の存否を会社自らが会社自らに対して証明する趣旨で発行されたものではないことは明瞭である。その効用は、配当金を受取りに来た人に一々印鑑照合をして、その本人であるかどうかを確める手数を省く便宜がある点に存するのであつて、全く人の同一性という事実に関するものに過ぎぬのである。

この点は、会社が自らの窓口で配当金を払渡す場合は極めて明らかである。何某の株主が、金何円の配当金債権を有するかを、株主が本計算書により会社の窓口で係員に証明してその支払を受けるというように考えることが全く無意味であることは多く言うを要しない。会社はそのような証明を全然必要としないのであり、それは全く印鑑照合の煩を省く便宜手段であるにすぎない。(なお、問題の計算書に金額の記載があることもこの結論を左右するものではない。要するに、今窓口に立つ人が、金何円の配当金の支払を受けうるところの株主何某本人であるか、どうか、(傍点の処が本質)に関するもので、その証明の本体が、何某株主が金何円の配当債権を有するか、否かに在るのでないことは疑うべくもない。これに金額を記載したのは、会社内部の支払の便宜をも考慮した結果にすぎない。)。しかし、会社が配当金支払の事務を自らの窓口以外の金融機関、それも特に数銀行をして取扱わせる場合に多少問題となりうるであろう。すなわち本計算書は、少くとも銀行に対し、株主の配当金請求権の存在を証明する文書としての機能を果しているものではないかとの論が起るかも知れない。

これに関しては、銀行の会社との契約上の地位が問題となる一般に、配当金支払の事務を銀行に行わせる契約は、凡そ次のような約定を含むのが通例である。すなわち、(1) 配当金支払事務を取扱つて貰うこと。(2) 事務取扱期間は会社が指定通知すること。(3) 支払に必要な書類は予め会社から銀行に送付すること。(4) 支払資金を予め会社から送付すること。(5) 事務取扱の費用は全部会社が持つこと。(6) 銀行に手数料を支払うこと。(7) 銀行は所定の計算書の貼付あるものにのみ支払うこと。この場合特に貼合わされた領収証番号と計算書の領収証番号の一致に留意されたいこと等である。

これによつてみると、会社と銀行間の契約は、配当金支払事務の請負契約と観念すべきことが明らかであると思う。銀行は、会社の指示に従つて、所定の用紙に所定の計算書の貼付された領収証の持参者に対し、機械的に金銭支払の事務を遂行するのであつて、その実際は会社自身の窓口におけると何等異なる処はない。銀行の行うのは法律事務の処理ではなくて(すなわち委任関係ではない)、金銭支払という仕事の遂行である。従つて、この場合も本計算書の証明力の点については、前に検討した会社自身の窓口で行う場合と全く同一に考えてよいのである。この点は、取扱銀行が一行であるか、或いは数行であるかによつて何等差異のないことは明瞭であろう。それが一行のみの場合は、計算書以外にも印鑑照合、台帳照合等の他の証明の方法があるが、それが数行であるときは計算書のみに依存しなければならないから、その証明力に差があるとの理由で、その間計算書の証書たる性質を異別に考える考え方は、(註)そのいずれの場合でも証明せられるものが、配当金請求権の存否ではなくて、銀行の窓口に立つて支払を求めている人が、当該株主本人に間違いないかどうかという事実関係にすぎない点で、全く差異がないということを誤解しているものであつて誤りという他はない。

(註)昭和二十七年一月五日付間消一-一国税庁長官通達参照

以上を要すに、会社が配当金支払事務を自らの窓口で行うか、或いは一行乃至数行の銀行をして取扱わしめるかに関係なく、本計算書は、印鑑照合の煩を省き、株主の同一性を簡易に判定する手段として採用されたものであつて、その証明力は飽くまで事実関係に関するもので、配当金債権の存否に関するものではないから、これを印紙税法第四条の証書に該当するものとすることはこの点からいつても当らない。

附属書類

一、本書面副本 一通

昭和三十一年二月十日

右原告訴訟代理人弁護士 環昌一

東京地方裁判所民事第一部

御中

別紙第四

昭和三十年(ワ)第七九二一号

原告 倉敷紡績株式会社

被告 国

昭和三十年十二月十四日

被告指定代理人

家弓吉已

泉山信一郎

根本正三

東京地方裁判所民事第一部

御中

準備書面

一、印紙税の本質及び印紙税法第一条の「証書」の意義について。

印紙税は、経済社会における流通取引を直接とらえる代りに、流通取引に伴つて作成される文書をとらえて間接的にその背後にある流通取引に課税する税であつて流通税に属するものである。すなわち、印紙税は人と人との間の取引行為によつて生ずる財産の移転の事実を直接に補促することが困難であるため、便宜上財産の移転に伴つて作成される文書又は帳簿に課税するのであつて、これはもとより文書又は帳簿そのものを課税せんとする趣旨ではなく、文書又は帳簿の内容たる財産の移転それ自体に課税せんとするのがこの税の本旨である。

したがつて、この目的を達成するために、現行印紙税法第一条には「財産権の創設、移転、変更若くは消滅を証明すべき証書帳簿及財産権に関する追認若は承認を証明すべき証書を作成する者は此の法律に依り印紙税を納むべし」と規定されているのである。同法によれば、印紙税の課税対象となる証書及び帳簿は限定されており、財産権の得そう変更等の事実を証明すべき文書でなければならないことはもちろんであるが、或文書が印紙税法上の証書、帳簿に該当するかどうかを判定するにあたつては、その判断の基準として、その文書に記載されている形式的文言だけによつて判断すべきであるか、或は文書面の形式的な記載文言だけでなく、当事者間の実質的関係までも含めて判断すベきであるかどうかの問題が生ずる。例えば契約の内容を細部まで記載した文書であれば、それがどのような権利関係を証明すべきものであるかが、その契約書自体だけで明かとなるから、形式的記載文言だけで判断しても、又実質的に判断しても結果は同一であるが、金銭受領の証明として作成された文書の内容が単に「記」、「証」、「相済」、「完了」等の簡単な記載だけで具体的に金銭受領の文言を記載していないような場合には、たとえ当事者間では明らかであつても、客観的にはその文書を見ただけでは、それがどのような権利関係を証明するかは必らずしも明らかでない。

したがつて、形式的記載文言だけで判断するか、又は実質的関係をも判断の基準にとり入れるかによつて、課税、非課税の結果が異つてくる。すなわち、同一の取引行為について、いずれも財産権の得そう変更等を証明する目的をもつて作成された文書が、その形式の如何によつて或る場合は課税されることになり、或る場合は課税されない結果を生ずるわけである。

若し印紙税法第一条の証書に該当するかどうかについて、その文書自体の形式的記載文言だけで判断すべきものであるとするならば、例えば金銭受領の証書を作成するにあたり、印紙税を免れようとすれば、当事者間の了解において、文字組合せによる符合その他の符合等により金高を表示することにより脱税の目的が容易に達せられることになる。このようなことは印紙税の本質及び目的からすれば不合理であり、印紙税の目的は達せられなくなるであろう。

したがつて、印紙税法第一条の「証書」とは、単に当該文書面の形式的記載文言だけでなく、関係法律の規定、当事者間における了解、基本的契約又は慣習等により、その文書の内容実質において個々の場合における法律行為の成立等を認知することができ、当事者間において財産権の得そう変更等を証明することができる効用を有する文書を指するものと言うべきである。

すなわち、印紙税法第一条の「証明すべき証書」とは当事者間において財産権の得そう変更等を証明しうるものであれば十分であつて、文書の記載自体だけから客観的に証明しうるものであることを必要としないのである。

印紙税法は自主納税の建前をとつておるのであつて、或文書がどのような効用を有するかは納税者である作成者自身が第一義的な判断をすべきものであるから、例えば金銭受領の証明として作成された文書に受領の文言が記載されていないような場合でも、当事者間においては金銭受領の証明として行使されるものであれば、すべて課税の対象となるのである。(昭和二十七年三月十三日最高裁判所第一小法廷判決。昭和十二年十一月二十九日、昭和八年三月十三日及び大正十年五月二十一日大審院刑事部判決等御参照)

二、本件配当金支払計算書について。

本件配当金支払計算書は、なるほど原告主張のとおりその記載自体だけでは、何人が何人に対し如何なる権利義務を有するものであるかは明らかでないが、本件計算書は原告も主張せられるとおり、原告会社がその株主に対し利益配当金の支払をなすに当り、定時株主総会前にその招集通知状と共に予め原告主張の如き様式による配当金領収証用紙を各株主に送付して置き、次で総会において利益金処分案が議決されて各株主に対する配当金額が確定したときに作成されるものであつて、原告会社は、本件計算書に、番号、所有株式数及び配当金額等の具体的債権の内容を記載証印した上、それぞれ各株主にこれを送付し、各株主は前記配当金領収証用紙に本件計算書を貼付して、取扱金融機関に提出して配当金の支払を受けるという仕組になつており、そして、本件計算書により取扱金融機関より配当金の支払を受ける場合、株数、配当金額等の記載事項や証印を欠いたもの、或は訂正したもの等については無効のものとして取り扱われているのである。

そこで、前に述べたとおり、本件計算書を単に文書の形式的記載文言だけで判断することなく、右のような事実関係から文書の内容実質について判断すれば、本件計算書は原告会社(原告会社より配当金の支払を委託された取扱金融機関も含む)と株主との間では当事者間の了解により株主の会社に対する具体的利益配当請求権を証明する証書としての効用を有するものであるということができる。

したがつて、本件計算書は、印紙税法第一条にいう「財産権の得そう変更等を証明する証書」に該当し、同法第四条第一項第三十一号該当証書として課税の対象となるべきものであつて、たとえ、本件計算書が原告主張のように配当金の二重支払を防止するための株主の同一性を確認する方法としての効用をも有するものとしても、同法第四条第一項第三十一号の証書たるの性質を害せられるものではない。

因みに、原告会社以外の一般の会社においては、配当金の支払方法として定時株主総会において利益金処分案が議決されて各株主の利益配当金請求権が確定した後に、各株主宛に所有株式数、及び配当金額等を記載証印した「配当金領収証」を作成し、これを株主に送付し、株主はこれに記名調印することにより取扱金融機関より配当金の支払を受けているのが通常であつて、この場合、右の配当金領収証は財産権(債権)の創設を証明する印紙税法第四条第一項第三十一号該当証書として印紙税が課されているのであるが、若し原告主張のように、印紙税の課税対象となる証書は、その文書の記載自体だけから客観的に財産権の得そう変更等を証明しうるものだけに限るものであるとするならば、本件の如く株式数及び配当金額だけを記載証印した配当金支払計算書と、その記載だけを除いた配当金領収証とを別々に作成することにより、会社は印紙税を免れることとなり、通常の配当金領収証の場合と比べて権衡を失し不合理である。

以上のとおり、本件配当金支払計算書は、その文書の内容実質から判断した印紙税法第四条第一項第三十一号に該当する証書であるから、原告会社がこれに対し印紙税を納付すべき義務があることはもちろんである。

よつて、原告の本訴請求は失当として棄却さるべきものである。

別紙第五

昭和三十年(ワ)第七九二一号

原告 倉敷紡績株式会社

被告 国

昭和三十一年四月二十四日

被告指定代理人

家弓吉已

泉山信一郎

根本正三

東京地方裁判所民事第一部

御中

準備書面

一、印紙税の本質については既に第一回準備書面において述べたとおりであるが、若干次にこれを補足する。

印紙税は登録税と同様に流通税に属するものであるが、しかし、経済社会における流通取引を直接とらえることは、なかなか困難であるので、徴収技術上の便宜の点から財産権の得そう変更等の経済流通と関連して作成せられる文書をとらえて課税することとされているのである。

すなわち、現在経済社会では一般に取引は法律行為の形をとり、契約を結ぶときは通常の場合契約書を作り、又、口頭又は電話によつて取引をする場合にもその結果を帳簿に記入することがあり、契約の履行に際しては送状を発し、請求書又は売買仕切書を作り、代価を受領するときは受取書を作り、又は判取帳に記入し、代価を支払うときは為替手形又は約束手形を発行する等一連の取引に伴い文書を作成する場合が極めて多い。そこで一般取引税や不動産取引税や有価証券取引税等のように流通取引そのものをとらえて課税する代りに、これら流通取引に付属する行為すなわち一定の文書の作成をとらえて課税することにより間接に流通取引をとらえようというのが印紙税である。印紙税がこのような本質及び目的を有するものであることは現行印紙税法第一条に「財産権の創設、移転、変更若くは消滅を証明すべき証書、帳簿及財産権に関する追認若くは承認を証明すべき証書を作成する者は此の法律に依り印紙税を納むべし」と規定されていることにより、又課税対象として同法第四条に列挙された各種の証書を見ても明らかであろう。

もとより印紙税は証書、帳簿の作成なくして課されるものではなく、また原告の指摘されるように印紙税の課税対象のうちには取引額の多寡に応じ税額に差異をつけないものもあるが、これらのことは印紙税の本質に関する被告の前記見解を左右するに足るものではない。

二、(イ) 印紙税法第一条の「証書」の意義について原告は「当該文書の記載自体からそれが何人によりいかなる権利関係を証明するために作成されたものであるかが文理上明らかであるものに限られるべきである」と主張して居られるが、この見解は前述の如き印紙税の本質及び目的に鑑み不合理であり財政目的の達成を困難ならしめるものであることについては既に第一回準備書面で詳述したとおりである。要するに印紙税法所定の証書に該当するかどうかを判定するにあたつては、単に原告のように文書面の形式的な記載文言だけによつて判断すべきでなく、当事者間の実質的関係までも含めて判断すべきであつて、同法の「証書」とは当該文書の形式的記載文言の如何を問わず当事者間においてその内容実質が財産権の得そう変更等を証明することのできる効用を有する文書を指すものと云うべきである。したがつて、原告の例示しておられる「コーヒー券」についても、なるほどその記載自体だけでは何人が何人に対し作成したものか判明しないが、その内容実質が園遊会の関係者間における了解、或は契約又は慣習等により園遊会においてこの券と引換にコーヒーを請求できるという給付請求権(債権)の創設を証明する効用を有するものである以上、印紙税法上の証書として課税の対象となるのはもちろんのことである。

(ロ) 原告は本件配当金支払計算書は、単に株主の同一性を確認するために作成されたものに過ぎず、文書それ自体の記載には何ら証明文言もないし、又本件計算書を遺失しても株主の配当金支払請求権が消滅するものではないから印紙税にいう証書に該当しないと主張せられるが、この見解も誤つている。

すなわち、印紙税の本質ないし目的から考えても、又成法上の規定から見ても、印紙税法にいう「証書」はその証書自体に必ずしも形式的な証明文言の記載があることを必要とするものでないし、又、その証書を紛失すれば請求権が消滅するような場合の証書のみを指すものでもないことは多言を要しないで明らかなところと思う。若し原告の主張せられるように、かりに本件計算書が単に株主の同一性を証明し配当金の二重支払を防止するための目的だけで作成されたものであるならば、なにも本件計算書に株数、配当金額等を記載証印する必要もなく、又株数、配当金額等の記載事項や証印を欠いたもの、或は訂正したものについては無効として取り扱う必要もない筈である。しかるに原告会社がこのような記載並びに取扱をなす目的及び理由は、配当金支払の取扱銀行が数行である場合は銀行において印鑑照合も台帳照合等も行われず、又会社より各取扱銀行に対して予めどの株主に対し幾らの配当金を支払うべき旨の通知がなされているわけでもないから、各取扱銀行としては、配当金の支払については全く本件計算書のみに依存しなければならないためであつて、若し本件計算書に株数や配当金額等が全然記載証印してなければ、取扱銀行としては、どの株主に幾らの配当金を支払つてよいか判らず支払事務は不可能となるであろう。

ところが、会社が本件計算書を発行することとすれば、株主はこの計算書を予め送付を受けた配当金領収証用紙に貼布しこれと引換に多数の取扱銀行のうち自己の選択する何れかの銀行で配当金の支払を受けることができ、又取扱銀行としては、右計算書が予め会社より送付された見本と同一であれば印鑑照合など権利者を確める手続をとらずに支払できるのであるから、本件計算書はその内容実質において、会社が株主の会社に対して有する具体的な配当金支払請求権を証明する証書としての効用を有するものと云うべきであつて、たとえ本件計算書が原告主張のように株主の同一性を確認する方法としての効用をも有するものであるとしても、これによつて印紙税法第四条第一項第三十一号の証書たるの性質を害せられるものではない。

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